2007年07月18日

スリランカより愛を込めて−クキさんの防災共育レポート27



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(上)幼稚園にもまけないぞう
(中)クマーラさんもお手伝い
(下)真っ先にロッシャンへ
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「TSUNAMI教育プログラム」4
この物語の最後に、「ぞう」にちなんで、「まけないぞう」の説明がされた。「KOBE」「MAKENAIZOO」とシンハラ語に書かれた「まけないぞう」の写真を見せながら、チャトランギーが、「このぞうさんは今年で12歳になります。KOBEというクキの生まれ故郷で誕生しました。このぞうさんも皆と同じ、痛みと哀しみを知っています。なぜなら、12年前に、KOBEで地面が大きく揺れ、多くの方が亡くなったのです。そんな中で生まれたぞうさんだからです。ぞうさんは皆に、災害にも負けない心と幸せを運びたいと思い、KOBEからタララへやってきました。皆でかわいがってあげて下さいね。」と言いながら、KOBEから持参した「まけないぞう」を広げて見せた。「見せて!見せて!」と、あちらこちらから園児らの手がのびた時、「まけないぞう」が「パオ〜♪」って喜びの声を上げたように聞こえた。その後、先生が「まけないぞう」をツリーに飾った時も、「まけないぞう」が、「KOBEからのメッセージはしっかり伝わったよ、そして伝え続けるよ」って言ってくれているような気がした。一枚のタオルから、一頭のぞうが生まれ、そこからKIZUNAが広がり続ける。タララ村から世界へ広がることを真に願う。

 本日最後のプログラムとして、お絵描きの時間となった。「稲村の火の物語」、「TSUNAMI物語」を聞いて、好きな絵を描くというものだ。園児らにとって、「ぞうさん」の方が描きやすかったのか、親しみがあるのか、殆どの子どもたちが「ぞうさん」の絵を描いていた。この時間になって、TUKTUKドライバーのクマーラさんが幼稚園に顔をだした。「ちょっと見に来たんだ」と一言いうなり、ある園児のお絵描きを手伝いだした。勿論、私は何も言っていない。スリランカに来てよく思うことであるが、日本では、何かお手伝いなどする場合、「手伝いましょうか?」とか聞くのを耳にするが、スリランカでは、手伝うという行為そのものは、例えば、火が近づいた時に手を反射的に離すような感じで、困っている人がいると、手を差し出すというのが反射行動の一つとなっているのではないのかと感じる。なぜなら余りにも自然で日常の生活の一部のように、「手伝う」という行為がなされるからである。

 それぞれが想い、想いの絵を描き終わると、例の泣いていた園児がキョロキョロと誰かを探していた。誰を探しているのかと思っていたら、ロッシャンを見つけしだい、すぐに彼の側に駆け寄った。(写真)そして、「見て、この絵、僕が描いたんだ。お家へ持って帰っていい?」と聞いた。「ラッサナイ(綺麗)!もちろんお家に持って帰っていいよ!」って答えていたロッシャン。そして、その光景を見ていた私の方を振り返り、大きな、大きな笑みと目を輝かせながら、その絵を見せた。この笑みが、この目の輝きが私達の活動を支えてくれている。毎回、プログラムが終わる度にそう思う。ふと、TUKTUKドライバーのクマーラさんに目をやると、彼は園児に靴を履かせていた。彼の背中に手を回してしがみついている園児の姿とクマーラさんの優しさが朝の光が刺し込む幼稚園を更に輝かせていた。
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スリランカより愛を込めて−クキさんの防災共育レポート26



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(上)手を洗いましょう
(中)TSUNAMI物語
(下)聞く姿もそれぞれ
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「TSUNAMI教育プログラム」3
 幼稚園でのプログラム中に、園児らのランチタイムがある。自宅から持参したお弁当をいただくのであるが、この時間も私たちにとって「防災共育」であると言ったのはリーダらである。理由は、食事をいただく前後に「手を洗うこと」や、お弁当を持参できなかった子どもに「分けてあげること」などが、「防災」であるということらしい。「分け合う」「支え合う」ことが「防災」であると言った言葉をリーダらの口から聞いて、昨年から引き続きこのプロジェクトを実施してきた甲斐があったと心からそう思えた。防災共育プログラムの成果を何で計るのかと考えた時に、こういった一言、一言や、1.17の特別プログラムで彼らが見せた祈りの姿などから垣間見る「隙間」ではないだろうかと思う。

 ロッシャンが園児を抱え込みドアの方へ走りだした。ドアの外には水のはった洗面器が置かれていた。どうも、手を洗わずに食べだそうとしたので慌てて手洗いをさせに外へその子を運んだらしい。「手を洗わないで食事すると黴菌が一杯お腹の中に入って病気になるよ」って言ったDr.ロッシャンである。以前、プログラム後に「今日は医者になった気分だ」と言った彼の言葉を思い出す。

 ランチ後に少し外で遊び、次のプログラムである「TSUNAMI物語(象の物語)」の読み聞かせを行った。この作品は、長縄えいこさんの作品で、心あたたまる象の母子の物語である。TSUNAMIのおそろしさを子どもたちにわかりやすく伝えるように構成されている。日本語から英語に、更にシンハラ語にと訳し、大きめに印刷して紙芝居風に準備していた。これらの作業は、想像していた以上に時間と労力を要したが、皆で頑張った甲斐があり、ある子どもたちは、チャトランギーが「もう少し、下がって見ましょうね」と言っても聞かないほど、紙芝居に夢中になっていた。しかし、ある子どもは、情報ボードが気になるのか、その絵柄を見つめていたり、ある子どもは、悪ふざけしすぎで、チャトランギーに少し叱られていたりしていた。聞く姿勢も皆バラバラ、でも共通していたのは、この時間を皆が楽しんでいたということだ。悪ふざけをしていた男の子が、照れながら、前に進んで、チャトランギーの手伝いをし始めた姿を見て、思わず笑み一杯になってしまったチャトランギーと私である。
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スリランカより愛を込めて−クキさんの防災共育レポート25


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(上)一緒に外で遊ぼう(下)バンザイ
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「TSUNAMI教育プログラム」2
プログラムの始めから、ちょっとしたハプニングがあった。ある園児が、泣き続けているのである。机に顔をうつ伏せながら、こちらがどんなに宥めても、泣き止まない園児。どうしたものかと考えていると、ロッシャンがテクテクと園児の方に近づいて行き、その子の耳元で何か囁いた。するとその園児がドアの方へ泣きながら歩いてきた。それを見ていたある園児が彼のためにドアを開けてあげた。その後をロッシャンが続く。外に目をやると、ロッシャンがその園児をブランコに乗せ、ブランコを押しながら、何やらお喋りしていた。後から何を喋っていたの?と聞いても「秘密」だとしか答えてくれなかった。どうも、二人だけの秘密にしておきたいようだ。

彼らが外で遊んでいる間、幼稚園内では「稲村の火の物語」の寸劇が行われていた。稲穂に火がつけられ、その稲穂に扮する子ども、メラメラと稲穂が燃える様を、体を左右に揺らしながら楽しそうに演技していた。津波から逃れられた村人に扮する女の子は「バンザイ」をして飛び跳ねて喜んでいた。目を細めて見ていた私も思わず一緒になって「バンザイ」をしてしまった程である。

寸劇が行われている間に、どうもロッシャンが外から一人で戻ってきていた。しかし、暫くすると又、彼は外へと歩いて出て行ってしまった。そして寸劇も終わる頃に、今度は二人揃って戻ってきた後、泣いていた園児は自分の席へ落ち着いた様子で座った。ロッシャンが「もう大丈夫だよね?」とその子を気遣いながら優しく尋ねていた。
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スリランカより愛を込めて−クキさんの防災共育レポート24


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(上)「稲むらの火の物語」読み聞かせ(下)お名前は?
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「TSUNAMI教育プログラム」1
 第3回目となるタララ村幼稚園でのプログラムは「TSUNAMI教育」である。「稲村の火の物語」と「TSUNAMI物語(象の物語)」の読み聞かせと、お絵描きというプログラム内容で実施した。「稲村の火の物語」は、チャトランギーにとって思い出深い作品である。昨年一年間、子どもたちを対象にこの物語の読み聞かせを彼女自身でアレンジしながら、彼女独自の作品を創りあげてきた実績がある。当時、彼女はよく私に言っていた、「この作品が私を大きく成長させてくれたの」と。「稲村の火の物語」が毎回、彼女の手によって姿を変え、新たな作品となって子どもたちの心に刻み込まれていったことを思いだす。

 最初にチャトランギーが、絵本を園児に配り始めた。すると、ある園児が、彼女が何も聞いていないのに、配るのを手伝いだした。するとどうであろう、他の園児も手伝いたいとチャトランギーに言い寄ってきたのである。その姿を見ながら、「ボランティア連鎖」という、昨年からずっと考え続けている言葉が頭に浮かんだ。ある者の行動が、他の者の行動に影響を与え、同じ行動を起こさせるというものだが、ボランティアという、本来生まれながらに皆が持ち合わせている精神を、ある者の行動で呼び起こされ、それが連鎖しながら更に他の者を呼び起こすという「ボランティア連鎖」である。この「連鎖」が広がれば、あらゆる人災に対して「備え」となり、それこそ争いのない社会、世界を築けるのではないのかと思う。「ボランティア精神」とは、一体何なのか?と聞かれれば、「社会を、世界を変える起爆剤」と答えたい。そして、各人がこの「起爆剤」を持ち合わせているということも付け加えたいと思う。

 「稲村の火の物語」の読み聞かせが行われている中、本日、リーダ一人で参加しているロッシャンが出席簿をとっていた。実は彼は他のリーダらがいると絶対にこの役目を避けるのが常で、理由は字が下手だということらしいのだが、今回はこちらが指示しなくても、自ら名前を園児から聞き、筆記していた。「字が下手だって?上手いじゃないの!」って後から言うと、少し照れながら、「ウン、まんざら悪くなさそうだ」と言って大きな笑みで答えたロッシャンである。彼は、昨年から続くこのプロジェクトに参加して以来、本当に、彼自身も驚く程、「変わった(成長した)」一人である。日々の活動を通して、どんどん変化していく彼の姿は、彼の家族を含め、皆を驚かせている。
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2007年07月04日

スリランカより愛を込めて−クキさんの防災共育レポート23



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(左上)情報ボード(上)完成した塗り絵(下)お手本を見ながら描く
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「工作プログラム:情報ボード作成」4

今回のプログラムも多くの改善点を発見することができた。まず、塗り絵であるが、この作業もかなりの時間を要する為、小さめの絵柄は、事前に塗っておくことにすることにした。実は、塗り絵だけで、3点ほど用意していた。チャトランギーとも、とにかく多めに作業できる品数を用意しておこうと決めていた。ある程度の年齢になると、1歳違いでは、能力的にも、体力的にも余り大差はないが、園児ぐらいの年齢だと、1歳違いで大きな違いとなる。もしかしたら、早く塗ってしまう園児らがいるかもしれないし、ずっと手助けの必要な園児らもいるかもしれないからだ。「塗り絵、描く情報の絵柄を可能な限り多めに作成したいの」とリーダらに言った時、これこそ「防災」だと言って笑ったリーダらの顔を思い出す。

 又、園児ら自身が描く情報は、こちらが提示した絵柄を真似て描くのではなく、園児らが考える情報を描いてもらうことにした。この案はリーダからでたものだ。真似ようとするから時間がかかってしまうのではないかとの意見である。園児らが考える情報とは?恐らく私たち大人では想像もできないような情報がでるかもしれない。次回、是非この方法でプログラムを実施してみたいと思う。

 来週は、TSUNAMI教育プログラムである。「稲村の火の物語」の読み聞かせと、寸劇、更には、日本から持参した、「TSUNAMI」というタイトルの絵本を含める予定。既にシンハラ語に翻訳し終わっており、この絵本はリーダらによって園児に読み聞かせをする。 又「象」にちなんで、日本から持参した「まけないぞう」を今回作成した「情報ボードと共」に壁に飾る予定である。 
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スリランカより愛を込めて−クキさんの防災共育レポート22


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リーダー達と一緒に色塗り
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「工作プログラム:情報ボード作成」3

非常用持ち出しバックの中身が描かれた「塗り絵」に色をつける作業となった。各塗り絵が、園児たちに配られる。今回、リータの数が足りないと聞いて、チャトランギーの妹が手伝いに来てくれた。さすが、チャトランギーの妹なだけある。こちらが何も言わなくても、お姉さんの動きを見ながら、テキパキと作業をこなしてくれていた。彼女も他のリーダ同様に、園児らの側に寄り添いながら、「これは何?来れは何に使うのかな?」と園児に聞きながら塗り絵を手伝っていた。この作品は、ラミネートされた後、ストローで額をつけ、最終はお家へ持って帰ってもらって壁にかけてもらう予定である。これらの作業は、リーダらとも相談しながら第4週目の最後のプログラムに組み込むことにした。

 次に簡単な絵柄の情報を、園児らに描いてもらう作業となった。これが、かなり困難を極めた。情報自体は、理解してもらえたのだが、それを自ら描くとなると、やはり難しかったようだ。殆どの園児が全く違う絵柄、もしくは手助けによってでしか描くことができなかった。3つの絵柄の内、一番簡単なのを選んだつもりであるが、この作業は思っていた以上に時間と手助けを要した。正直、「うんんん、困ったなぁ」と内心思っていたところ、リーダのN君が、「上手く描けなくても、この絵柄(情報)を園児らは理解していんだからそれで十分だよ、クキ」と耳打ちした。その言葉にホットさせられた。彼はいつも私が落ち込んでいる時や、悲しんでいる時にそっと側に寄って、色々な話しをしてくれる。その話しの内容は、いつも私を安心させてくれる。「安全一番」とよく言われるが、「安心一番」ではないかなと考えることがある。心が安らぐと、心に余裕が生まれる。心に余裕があってこそ、危険を防ぐ、避けることが容易になるのではないかと思う。
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スリランカより愛を込めて−クキさんの防災共育レポート21

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得意気に発表

「工作プログラム:情報ボード作成」2

まずは、情報ボードの説明から始まり、先週質問にもあった、非常用持ち出しバックについての復習がされた。「バックの中には何を入れたら良いのか分かる人?」とチャトランギーが皆に尋ねると一斉に手が上がり、ある園児を指定した。その子は手をポケットに突っ込んで、得意気に皆の前で発表していた。聞いている園児たちも、興味津々、中には、その子と一緒になってバックの中身を言っている園児もいた。よく覚えているなぁと感心して見ていた。

次に、情報ボードに貼る情報の説明がされた。合計6つの情報である。各絵柄を、丁寧にチャトランギーが説明する。こちらが驚くほどに園児らは全ての絵柄を理解してくれた。ある園児が、「お母さんとお父さんはよくケンカをするんだけれども、止めさせる為の情報ってあるの?」と聞いてきた。ニローシュが私の耳元で、「この子の両親、仲悪いので有名なんだ」と囁いた。チャトランギーは、少し困った表情を見せたものの、すぐさま、「家族の絵を描いて、全体をハートで囲んだらどうかなぁ?」と笑み一杯に言った。その子も笑み一杯に「うん!」と言って答えた。この園児にとっての災害は、両親がいつもケンカしていることなのだろう。リーダの一人であるR君は「怖さ」が災害だと言った。N君は「失敗」だと言った。D君は「暴力・酒」だと言った。彼の父親はアル中で、母親に暴力を振るう。人にはそれぞれ違った災害がある。私にとっての災害とは何かと問うと「寂しさ」かもしれない。しかし、これらの殆どの災害は、人の優しさや、大丈夫だよ、心配するな、側にいつもいるよ!といった励ましや思いやりによって軽減されるのではないかなと思う。
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スリランカより愛を込めて−クキさんの防災共育レポート20


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(上)情報ボードの説明(下)説明をじっと聞く
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6月15日に行われた幼稚園での第2回目のプログラム「情報ボード作成」を数回に分けてお届けします。

「工作プログラム:情報ボード作成」1

 第2回目となるタララ村の幼稚園のプログラムは、「工作プログラム:情報ボード作成」である。このプログラム実施にあたり、多くの準備が事前になされた。第1回目のプログム実施前には、この情報ボード自体を園児たちが作成する予定であったが、園児らと実際接してみて、情報ボード自体作成するのは彼等にとって若干難しすぎるのではないかというボランティアリーダらの意見を取り入れ、予定を変更し、事前にリーダらによって作成することにした。幼稚園のプログラムは、私たちにとって初めての経験で、話し合いの時間を多く要する。頭では可能であろうと思っていても実施してみて初めて分かることが多々ある。

 数ある災害に関する情報をどんな形式で情報ボードに貼るのか。園児らにも分かる簡単な絵柄でなければいけない。日本から持参した資料や現地で調達した資料の中から数点をリーダらと相談しながら決めた。又、園児ら自身で描いてもらう為の簡単な情報の絵を3点描いた。



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スリランカより愛を込めて−クキさんの防災共育レポート19

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みんなで汽車ポッポ

「防災マップ作り」プログラム5

 根気強く、約20分以上もの間質問に答えてくれていた園児らであるが、さすがに疲れと若干退屈になってきたのか、落ち着きがなくなってきた。それを見たチャトランギーは、直に園児らを立たせ、「汽車ポッポ」のお遊戯を始めた。その後は、象さん、ウサギさんに皆が扮しながらグルグルとテーブルを回った。体を動かした為か、園児らも落ち着きを取り戻し、最後の質問へと移った。
 
災害に対して普段からできることは何か?の問いに、ラジオやテレビの情報に注意する、非常用持ち物として、衣類、医薬品、懐中電灯などを用意しておき、お寺へ持っていくと答えた。

 こちらが用意していた質問に対して、園児らは全部答えてくれた。辛抱強く、根気強く、本当に頑張って答えてくれた。先生も、園児らが、ここまで長い間、じっと椅子に座っているのは初めてであるとおっしゃっていた。しかし、次回は質問の量を少し減らす予定である。理由として、やはり答えを引き出すのにかなりの時間を要し今回も予定終了時間よりも30分近く長くかかってしまったことにより、迎えに来ている親御さんらを待たせてしまう結果となってしまった為である。先生からのアドバイスとしも、質問が若干多すぎると指摘された。

 私たちが今まで実施した防災マップには3種類の手法がある。幼稚園に対しては、立体的手法(発砲スチロール手法)を用いることにしたのには理由がある。切り絵を描く行為とそれらを発砲スチロールに刺すという行為が幼い子どもにとって楽しみながら簡単に行えるという事と、切り絵を差し替えることも可能であることから、お遊びの一つとして今後も切り絵を変えて、またひと味違った防災マップを作成することが可能であるからである。前回のプロジェクトで、紙粘土が見つからず、その代わりに米粉を利用したのだが、今回は紙粘土で立体的な建物を作成することが可能となった。紙粘土は米粉のように腐ることなく保存が利くことと、容易に使える利点がある。切り絵や紙粘土を多いに利用し、今後もこの防災マップを幼稚園で使って頂けるように先生にお願いして、プログラムは終了した。
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スリランカより愛を込めて−クキさんの防災共育レポート18

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「TSUNAMIを知っている人ー?」「はーい」

「防災マップ作り」プログラム4

 逃げる時にどんなことに注意しなければいけないか?の質問に対して、立ち止まらずひたすら逃げること、津波が再度来るかもしれないから戻らないこと、何も聞こえなくなるから叫ばないこと、他の人を押さないことなどが答えとしてあがった。勿論、チャトランギーが園児らにも答えられるように誘導しながらこれらの答えがだされたのであるが、「お・は・し・も」の説明を全くせずに、こんなに幼い子どもでも、完璧に近い答えが返ってきたことに、先生をはじめ、チャトランギー、ーダらも驚かされた。

 お年寄りや逃げることが困難な人たちに対してどんな手助けができると思うか?というに問いに対して、お年寄りなどにはお花をあげて励ましてあげると答えた園児がいた。「私はまだ小さいから、抱っこしてあげられないから、励ましてあげるの」と言った。この質問を園児にするかどうか、以前かなり迷った。2〜5歳ぐらいの子どもが、逃げることが困難な大人に対して何ができるのか?何もできないのではないのかと。しかし、結果はこの通りである。花を差し出すという行為によって『励ます』という、困っている人の『心の支え』となる手助けを考えたのである。私には想像もできなかった答えである。

 家がなぜ壊されたと思うか?に対しては大きな波が押し寄せてきたからと答え、壊れない為にはどうすればよいと思うか?に対しては、家の周りを高い塀で囲むと答えた。前回のプロジェクトでも同じ質問を対象年齢10歳以上の子どもに聞いたが、強い家を建てるという答えはあったが、高い塀で囲むというのは今回が初めてである。それもしつこいようだが、2〜5歳までの園児の答えである。そして、その塀に綺麗な色を塗るのと答えたのも園児である。
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2007年06月20日

スリランカより愛を込めて−クキさんの防災共育レポート17


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(上)切り絵に夢中(下)完成した地図
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「防災マップ作り」プログラム3
発砲スチロールに貼られた地図の上に、爪楊枝が付けられた様々な切り絵を、チャトランギーやリーダらの手助けのもと、園児らの手によって地図に落とし込められていった。実は地図の中には我が家も明記されていた。ある園児が、大きめの家と小さめの家を見比べ、そして私の顔を見終わると、地図にある我が家に、その子は小さめの家の切り絵をさした。そして私に「クキは体が小さいから小さいお家」と言って笑った。そして我が家の隣の家には大きめの家をさした。そしてその子は又私に、「ここの人は体がクキより大きいから大きなお家」と言って笑った。それを聞いて、皆が大笑いとなる。この子は年齢にして3〜4才位である。私の隣の家には体が大きい人が住んでいることを彼が覚えていることに感心してしまった。恐らく、毎朝我が家の前の道を通り、その子は色々なものを観察しているのであろう。何処にどんな人が住んでいるのか。何があるのかなど。大人よりも鋭い視線で観察しているのかもしれないと思う。

安全な場所には緑丸の切り絵、危険な場所には赤丸の切り絵が地図にさされていった。安全な場所として1.お寺(左写真参照)、理由はTSUNAMIが来ないから、2.お家と答えた園児もいる。危険な場所として、1.お寺の道標のある十字路、理由として交通量が多いから、2.沼地、落ちる動けなくなるから、3.ジャングル(森)、危険な動物がいるから、4.お家と答えた園児もいた。安全な場所としてお家を選んだ園児に理由を聞いてみると、お家には家族がいるからと答え、危険な場所として選んだ園児は、お家は大きな波が来る位置にあるからと答えた。この子の親はこの子が危険な場所として家を選んだことを知ってどう思うのだろうか。この子の家は未だに海岸から道路を隔てた場所に建っていると聞かされた。若干3、4歳の子どもの方がことの重大さを把握しているのではないのかと驚かされた園児の答えである。

例え小さな子どもであっても基本的に自分の命は自分で守るのが原則であることを伝えた後に、一人でお寺まで行けるかどうかを聞いてみた。あるものは行けると答えた。理由として自転車があるからと答え、行けないと答えた園児は、お寺までの道のりで誘拐されるかもしれない、怖い、転んでしまって怪我をしてしまうかもしれないからと答えた。
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スリランカより愛を込めて−クキさんの防災共育レポート16


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(上)手伝うロッシャン(下)作業する子どもたち
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「防災マップ作り」プログラム2
お寺は災害時には避難所となること、お寺までの道のりを、いざという時には一人でも来れるように道を覚えることが大切であること等の説明がされ、いよいよ切り絵と地図に色をぬる作業となった。色紙、厚めの紙、カラーペン、クレヨン等、作業に必要な文具類が配られる。直にカラーペンのふたをとって、描く子どももいれば、じーっと紙を見つめて、リーダらの顔を見ている子どもなど、見ているだけで笑みがこぼれてしまう。リーダらを観察していると、こちら側が何も言わなくても園児の側に寄り添いながら、切り絵の手伝いをし始めていた。園児が持っているペンにそっと手をのせて、一緒に絵を描いているリーダ、「こうやって塗るんだよ」と言いながらお手本を見せるリーダ、「紙粘土で立体的に建物を作る方が園児に分かりやすいよ」と私に耳打ちしながら、様々な建物を紙粘土で創作したニローシュなど、それぞれ各人が自分たちで考えて行動を起こしていたその姿に、思わず涙がでてしまった。

想像していたよりも幼稚園児対象のプログラムは時間がかかることが分かった。やはり多くの助けが必要であるのと、園児らの好きな図柄を描くにしても、切り絵として少し困難な絵が多く、どこの部分を切ってよいのか迷ってしまい、結局、描き直すという作業が増えてしまったということにもある。又、参加人数であるが、予定では50名〜60名の園児対象としていたが、とてもこの数を私たち数名のリーダらだけでは手伝いきれないということも分かった。今回は11名〜15名の生徒数である、人数が多くなった場合の対処方法を考えなければいけないことが今後の課題となった。
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スリランカより愛を込めて−クキさんの防災共育レポート15


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(上)一人ひとり名前を聞くマーシャ(下)リーダーたちのかいた地図
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お寺の幼稚園で6月8日に行われた「防災マップ作り」プログラムの様子を数回に分けてご紹介します。この幼稚園の園長はタララ寺のチーフモンクで、男の子8名(2〜4才6名、5〜6才1名)、女の子7名(2〜4才3名、5〜6才4名)です。

「防災マップ作り」プログラム1 
このプログラムを実施するにあたり、事前にリーダらの手によって地図を模造紙に描いていた。この地図を描くのに、長い間話し合いの時間がもたれた。何処から何処まで地図の中におさめるのかが問題となった。2歳〜5歳の園児たちである。その園児らにも分かる地図を作成しなければいけない。広範囲に描いてしまうと、恐らく園児らは理解しないであろうということになった。それぞれのリーダらが各人、意見を述べ、最終、お寺の道標がある十字路からお寺までの道までを描く事になった。距離にして400m程である。お寺の道標は、誰もが知っているし、園児らもこの道を通って幼稚園へと通うからである。お寺は災害時には避難所となる場所である。その場所を比較的大きく描き、お寺までの道も太く分かりやすく描いた。とてもシンプルな地図だが、後から幼稚園の先生からも絶賛されるほど、園児らは見事にこの地図を理解してくれた。

 朝9時から始まったプログラムには11名の園児らが出迎えてくれた。チャトランギーによる挨拶から始まり、早速、防災マップの説明に入る。リーダらが模造紙に落とし込めた地図を園児らに見せる。目をクルクルさせながら見入っている園児もいれば、よそ見をしている子もいたが、殆どの園児らは地図を見ながらチャトランギーの説明に耳を傾けていた。この間、リーダの中で唯一の女の子であるマーシャは、一人ひとりの園児に名前を聞いて、出席簿に明記していた。後から聞いたところによると、名前を聞いてもお母さんの名前を言う子どもや、分からないと言う子どもなど、その度に先生に聞いては明記していったらしい。
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2007年06月12日

スリランカより愛を込めて−クキさんの防災共育レポート14

レポート2でご紹介した防災共育プログラムがいよいよスタートしました。今回のプロジェクトは、幼稚園、孤児院、老人ホームの各施設をそれぞれ3ヶ所で実施し、1ヶ所毎に1ヶ月のプログラムが組まれています。6月8日から始まった最初のサイトはタララ村のお寺の幼稚園(15名ほどの小さな幼稚園)で、この選定は子どもリーダーらの強い希望によるものだということです。彼らが幼い頃通った幼稚園で、彼らが学んだことを後輩たちに伝授し、そしてこの後輩たちが次の後輩たちに伝授していく。タララ村が防災共育の拠点となり、ここから世界に広がっていくことを願い、誇りに思っています。

プログラムの具体的な内容は、順次ご報告していきます。
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2007年05月26日

スリランカより愛を込めて−クキさんの防災共育レポート13

相変わらず停電と断水との戦い?です。次のようなレポートが来ました。そのまま紹介します。

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 電気がだいぶマシになったと思えば、今日から断水です。パイプが破損したらしく復旧にいつまでかかるか未定。本日は緊急用のタンクの水を使いましたが明日から井戸水をどこかの家からくみに行かなければいけません。タンクのないロッシャンや他のボランティアのお母さん方が我が家のタンクの水をもらいにやってきました。相互扶助が当たり前となっているタララ村では、水のある者は助けるが当然なのです。

(中略)

 この相互扶助に関してですが、タララ村の子どもたちの間で「タンビリ」という言葉がよく使われます。彼等独自の言葉のようで、チャトランギーに聞いても彼女も知らないと言っていました。リーダらに聞いてみると、「貸し借り」という意味らしいのです。自分たちの衣類を友達に貸すが借りもする。そうすることにより、一人ひとりが多くの衣類を持たなくても色々な服が着れるということになります。グルグルと衣類がタララ村で回されれ、また本人に戻るのです。これが、数日で戻るのか1ヶ月先になるのかは貸した本人も分からないという、ちょっと私には信じられない話しですが、リーダらによれば、ある日、服が家に戻っているということです。微笑ましい話しですよねぇ。

 相互扶助とは、生活の知恵から生まれてくるものであるのかもしれません。「互いに助け合うこと」が災害時に一番大切であることはKOBEの震災で学びました。あの時、誰もが最後の一人まで助かってほしいと願い、またお互い助け合いました。タララ村では私たちが学んだ「相互扶助」の大切さが生活の一部となっています。「防災共育」が生活の一部となることが私たちプラトナの望みです。
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2007年05月19日

スリランカより愛を込めて−クキさんの防災共育レポート12

2004年のインド洋津波地震災害以後、特にインドネシアのアチェ、スリランカ南部などには”津波のごとく”海外からの援助が押し寄せて来ました。すでに、このことによる課題はマスコミなどでも取り上げられてきましたが、被災者間でトラブルが多発し、援助がプラスになるのではなく、マイナスになっているケースが少なくありません。クキさんが入っている南部地域でも、インターナショナルNGOが数多く入っており、中には地域の子どもと一緒に活動するのに、現金を配るというケースまで出てきています。私たちが被災地で防災共育のワークショップをするときに、スナック菓子とかプレゼントとして鉛筆を1本配るというようなことはしますが、活動に参加してくれたからといってお金を配ることはありません。

また、すでにNGOの援助が入っているところに、後から非常に有名なインターナショナルNGOが入ってきて、多額の援助を申し出て、結果的に先に入っているNGOを困らせるというトラブルもあるようです。被災当事者がしっかりしていれば、影響を受けることはないかも知れませんが、いわゆる”援助合戦”に巻き込まれると、将来的には負の財産を負うことになりかねません。

すでにマスコミなどで「援助者の論理による援助!」と指摘されたことがありますが、まさにそういう光景が被災地のあちらこちらで見受けます。大変残念なことです。「悔しかったら、CODEも援助合戦に参加すれば!」と言われるかも知れませんが、ほんとにCODEは貧乏NGOで良かった!と思います。タララの子どもたちが創った歌のタイトルを思い出します。
−知恵があれば、人生は光る!−って。ほんとに中学生がつけたタイトルなの!?
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2007年05月13日

スリランカより愛を込めて−クキさんの防災共育レポート11

プラトナ・チャイルド・クラブのN君が、家庭の事情で活動に参加できなくなったようです。もう一人R君という内気な男の子がいますが、彼はこの止めることになったN君の支えによって、何事にも自身を持てるようになってきたところなので、N君も心配ですが、R君のことも心配になります。しかし、R君はなんと止めていくN君に対して「心配するな、僕がNの分まで頑張るから見守っていてくれ」といい、クキさんに「僕は防災共育って本当な何だろうって今まで考えて来たし、今でも確かなこれだ!というものはいえないけれども、ひとつだけ分かったことことがある。以前、お父さんから、強い家を作るには基礎になる支柱の部分が大切だと聞いたことがある。柱同士が支えあう、支えあう行為が大切なんだよね。支えあう行為が”備え”になるんだよね。僕は笑われるのが怖いと思っていた。その思いを支えてくれたのがN。この支えで、僕は怖いというものから逃れられた。怖さも僕にとっては災害なんだ。災害から逃れるように支えてくれた。だから”備え”なんだ。これを教えてくれたのがNだった。」と言ったそうです。

この話を聞いて、昨年「障害者防災提言集」を出したゆめ・風基金さんの編集員会ででた話を思い出しました。代表のMさんが「そらそうと、何で僕らは今まで防災のこと考えてこなかったんやろ?と仲間と話していたら、僕らにとっては毎日が災害や!からといわれ、なるほど!」と思ったと言ったのです。場合によっては子どもにとっても毎日が災害かも知れません。例えば、アルコール依存症の親父がいて、毎晩酒を飲むと大きな声で叫き、また物などを投げたりという家庭にいたりすると、確かに子どもにとっては居場所がなく、災害(というか災難か?)かも知れません。そう考えると、毎日の対策の中でも心強いのは、間違いなく友達の支えですね!以前、「暮らしの中の防災」のことを書きましたが、確かに「支えあい」という日頃の備えは、基本中の基本やなぁ?

 余談ですが、今CODEがインドネシア・ジャワで現地のキーパーソンと協働で挑戦しようとする地域経済再建プロジェクトの根幹はやはり、「ゴトンロヨン」という支えあいのしくみです。
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2007年05月09日

スリランカより愛をこめて−クキさんの防災共育レポート・番外編

クキさんより、UNCRD(国連地域センター)防災計画兵庫事務所がタララ村で行うWSの準備の様子が送られてきました。CODEのプロジェクトではありませんが、プラトナチャイルドクラブの子どもたちの奮闘ぶりが描かれていますので、「クキさんの防災共育レポート・番外編」としてお届けします。少し長いですが読んでいただけたら幸いです。

なお、このUNCRDのWSは元CODEスタッフだった斉藤容子さんが担当していますので、その縁でタララ村で実施することになったものです。

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UNCRDのWSを目の前に控え、停電との戦いの中、慌しい日々を送っています。今回のワークショップのプログラムの中に、プラトナチャイルドクラブの子どもメンバーらのドラマがあります。このドラマの内容は、プラトナボランティアリーダの一人であるナデュンが脚本を手がけました。ドラマの内容を紹介したいと思います。

 ある外国人の女性が避難所のTSUNAMI被災者と話し合いの場を持ち、TSUNAMIに関する質問をする。質問内容は、TSUNAMIが襲ってきた時に、どのような行動を起こしたのかなど、様々な質問を投げかける。被災者の中の一人が、彼女に向かって叫ぶ、「もう2年以上もTSUNAMI、TSUNAMIとウンザリしている!もっと他の現在直面している問題などを話しあうべきだ!」と。外国人の女性も彼の鎮痛な叫びを理解し気分を変えるために、皆で歌を歌う。歌を歌っている間にある被災者が呼吸困難に陥いる。すぐに、FISTAIDの処置を知っているある被災者を呼びに行く。彼が皆に処置の仕方を教えながら患者を処置する。

 更に話し合いが続く、災害(緊急事態)に備えて日ごろから何を準備しておいたらよいのか、避難の仕方など。そんな話し合いの、ある被災者が、「津波が起きたあの時期に人々の態度が極端に二つに分かれていた。ある者は、この災害を利用して、日ごろから恨みのある者を見殺しにしていたり、(溺れて助けを求めていても、見て見ぬふりをしていた)ある者は、息を引き取りそうになっている人の身に付けている貴金属を盗んだりしていた。しかしある者は、懸命に人命救助に努めていたり、隣人のために可能な限りの手助けをしていたりした。」と言い、話し合いは更に続く。

 コミュニティの結束力があらゆる災害(暮らしの中の問題などに対しても)に対しての防災となる。コミュニティの結束力を強めるには、日ごろからの暮らしのあり方を再検討し、直すべきところは再建しなおし、継続するところはよりよいものへ変えていく努力が大切であることを、話し合いの結論としてドラマは終盤を迎える。

 そして、観客に向かって歌に代えて約束をする。手と手を取りあおう♪ 助け合おう♪ 一緒に歩んでいこう♪ 希望を持とうTSUNAMIなんて怖くない♪ TSUNAMIは僕たちの心をつぶすことなんてできないんだ♪ TSUNAMIは僕たちのコミュニティをつぶすことなんてできないんだ♪さぁ、みんな起きて♪立ち上がろう♪ 私たちの知恵(経験)を広げようよ♪そして私たちの人生を光らそう!!

 今回のWSでは、このドラマを通して、タララ住民が自分たちが今後この村をあらゆる災害から守るには何が大切なのかを確認してもらい、更に何が自分たちに出来るのか(行動計画)を作成してもらうことになっている。その行動計画を元に、台本を作り、新たなドラマを作成する予定である。

 このドラマに関してのエピソードを紹介したいと思う。子どもボランティアリーダの一人である、ロッシャンという男の子がいる。彼は最後の最後までかなくなにドラマ出演を拒んでいた。他のリーダらも、「プルワン、プルワン、トライしてみろ!」と何度も応援していたが、それでも「やったことないから出来ない」と断り続けていたのです。このドラマの他にもプラトナ・チャリルドクラブの活動を紹介するプレゼンテーションがある。そのプレゼンテーションを各ボランティアリーダらが担当活動を決めて説明するというのだが、これもロッシャンは出来ないと言って断り続けていた。「僕は頭悪いから、こんなのできない」と言うのである。どうしようかと頭を悩ませていたところ、大親友のナデューンがある日、ロッシャンを自宅に呼びロッシャンに言ったらしいのです。ロッシャンはいつも自分が頭が悪いということを利用して何もトライしようとしない。ロッシャンは頭が悪いのじゃなくて、ただ怖いだけだ。間違って笑われたらどうしようって、、心配するな、僕が側についているから、誰も笑ったりしない。心配するな。笑ったやつがいるなら、そいつが馬鹿なんだよ。ロッシャンではない」と。

 その後、勇気を奮ってロッシャンはドラマの練習に参加した。すると、どうであろう、水をえた魚のように、生き生きと、本当に楽しげに演技していた彼の姿は、皆を本当に驚かせた。ロッシャン自身、驚いていた。その後、彼は自ら進んでドラマの練習に励んでいる。又、ドラマの練習が少なすぎると言いながら、自ら皆を呼び練習に精を出している。

 「彼らが欲するものが本当に彼らの必要とするものではない」
彼らの能力を引っ張りだす「エンパワーメント」とは、個人個人が他者を思いやる気持ちから生まれてくるものなのかもしれない。
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2007年05月07日

スリランカより愛を込めて−クキさんの防災共育レポート10

なかなか停電が安定して修復されないようです。さて先回、タララの子どもたちが阪神・淡路大震災の被災者のために、今年の「1・17」に絵を送ってくれた話とそれにまつわる顛末を紹介させて頂きました。実は、スリランカが津波被害を受けた2年目の昨年12月26日には、神戸からKOBEの復興のシンボルグッズ「まけないぞう」を送りました。クキさんが子どもたちにこの「まけないぞう」の説明をしたときに、一人の子どもが「僕は、プラトナ(希望)と勇気を他の被災者に伝えたい。だって僕達は同じ痛みがあるから」と言ったそうです。今日本では能登半島地震のことが話題になっていますが、やはり今回被害を受けた人たちも、「はじめて人の有り難みがわかる。次ぎどこかで災害があれば私たちが先頭になってやらねば・・・」ということをおっしゃっています。

クキさんは、12年前のあの時、東灘区のマンションに住んでいて被害を受けました。あの時の光景はクキさんの脳裏から離れることはないかも知れません。昨年のあるとき、こうしてスリランカの被災者や間接的に能登の被災者と「痛みの共有」「共鳴」「共感」を共にすることで、だから忘れてはいけない!とより記憶を確かなものにし、共に泣き、喜ぶことで強くなって行く自分を発見すると言ってました。防災共育って、こうして「忘れてはならない記憶を伝えること」でもあるのでしょう。では、同じ痛みを経験していなければどうなるのでしょうか?そこで作家の柳田邦男さんは、「いのちの危機管理」を訴えられており、「2.5人称」で考え、行動することの大切さを訴えています。詳細は、「月刊現代2007・2月号」に書かれています。もし必要な方は連絡して頂ければコピーしてお送りさせて頂きます。
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2007年05月05日

スリランカより愛を込めて−クキさんの防災共育レポート9

 昨日、停電がよくあることを伝えましたが、ここで停電にまつわる話を紹介します。これこそ「暮らしの中の防災」という話です。

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 一昨日からこちらは大きな祭りで、案の序、昨晩から停電でした。去年もこの祭りのときは10日間ぐらい長い、長い停電があった記憶があります。もう本当に、、何もできないですね、停電になると、、情けない。子どもたちは、電気がなかろうが、水がなかろうが、無い無いづくしでも、平気で、いつもと変わらない生活をしています。彼等の生きる力といのか、柔軟性には尊敬してします。
いくら私が「電気がないと仕事できないのよ!洗濯機もつかえないし、真っ暗闇だし!」と嘆いても、「コンピューターが使えないんなら手で書けば?メール送れないなら、郵便局から送ったら?暗かったら、ロウソクたてたら?洗濯機ダメなら手で洗ったら?全て問題ないじゃない!」って、、言うのです。

 うんんん、、それは私も分かっているって!って、言うと、「分かってないから、嘆くんじゃないの?」と言います。ほんと、時々、どっちが大人なのか、わかんなくなる時があります。それに、究極な一言は、「防災、防災ってクキ、口では言っている割に、心の準備がなさすぎだよ!心の準備は「備え」なんだよ!全く、、クキ、分かってないんだから、、」と言われてしまいました。そのとおり!心の準備があるのと無いのとでは、ショック度が違うのです。頭で分かっているんだけれども、、、なかなか、、長い長い停電になると、どうしても怒りにちかいものがこみ上げてしまうのです。とほほほ、、情けない。
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