2006年09月28日

スリランカ第 7 次調査報告No.6

■広がる紛争
 
無邪気に笑う人見知りがちな子どもたちに出会い、仲間との助け合いを尊ぶ漁師たちに出会い、誇りをもって自分の仕事について話す女性たちに出会った。痛ましい津波の記憶はまだ鮮明かもしれないが、出会った人たちは少なくとも、前を向いていた。

津波から力強く立ち上がっていく人たちがいる一方で、悲しいニュースは途絶えない。道中、私たちはコロンボに一泊したが、そのホテルの近くで数日前にテロがあったと聞いた。車が爆発し、2歳の幼児とその母親が犠牲になったそうだ。また、私たちがスリランカを後にした直後にも、再びコロンボでの爆発が報じられていれた。北部・東部で激化している政府と反政府武装組織との紛争が広がっているのだろうか。地理的な広がりだけでなく、民間の人が犠牲になるという広がり。津波に奪われた命があり、間一髪救われた命があった。その生き残った人たちが、人間によって殺されているのかもしれなかった。

ある反戦団体が、キャンペーン用に作った栞(しおり)を私たちにくれた。表側にはやわらかいタッチの鳩の絵と英文。「平和とは、『望み』でもなく『願い』でもない。『権利』なのだ」。裏にはシンハラ語で、「少数の好戦的な人々の欲のために、多くの人々の権利を侵害することを許してはならない。いかなる戦争行為にも反対しよう、団結しよう」とある。

現地で会ったイタリア出身の国連職員は言った。「これを日常と思うことにしたの。先月の私の誕生日にもテロで誰かが亡くなった。だから私は誕生日も素直に喜べないと思っていたのだけれど、この状況に慣れなくてはいけないと友人に言われた。毎日のことだから。それで、誕生日を祝ったわ。」慣れなくてはいけないのだろうか。栞の「平和は与えられて当然の権利」という文言とは反対に、「戦争は慣れることができるほど日常のできごと」と言い聞かせる人。さなかに生きる人は、どちらの目線で世界を視るのだろう。
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2006年09月26日

スリランカ第 7 次調査報告No.5

■「モルディヴ・フィッシュ」

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女性組合を訪れた後、あるお宅を訪ねた。家族で「モルディヴ・フィッシュ」と呼ばれる鰹節に似た加工品を作っている。削る前の、堅く茶色い鰹節だ。ひとつひとつは20センチくらいの大きさにしてある。この加工品製造も、女性たちが収入を得る手段のひとつである。マグロなどの魚を煙でいぶした後、乾燥させる。お邪魔したとき、ちょうど煙を炊いていて、よい香りがたちこめていた。食べさせてくれたが、ものすごく堅く、小さく割るのにもハンマーでたたくなど一苦労だった。口の中に入れていると、煙の匂いと塩味がしておいしいのだが、10分ほど経たないと噛み砕けないくらい堅かった。
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2006年09月25日

スリランカ第 7 次調査報告No.4

■女性組合

 漁業組合の代表と一緒に、「FCWU訓練センター」に向かった。FCWUとは、漁業組合のなかの女性委員会にあたるもので、女性や子どもたちが職業トレーニングを受けている。

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 センターでは、女性たちが職業に役立てるためにコンピュータや刺繍の技術を習うことができる。この町の女性たちは、夫がやっていた店が津波であらかた流されてしまい、自ら家事に加えて収入を得るための仕事を始めざるを得なくなった。職業訓練に加え、自営業の開業資金として融資を受けることもできるプログラム。ふと見ると、ある女性が、紙とペンを取り出し何かの図を描いている。聞いてみると、私たちに同行してくれた男性が着ているシャツの刺繍の模様を描き写していたのだ。デザインの参考にするのだと言う。

 家事は無償労働だからその価値が低い、というのは間違っている。けれど、それまで無償労働に従事してきた女性たちが自分で生計を立てられるようになると、離婚しても生きていけるという自信からか、家庭内やコミュニティ内で発言力が増したり、外に出た女性どうしの結束が固まったりするといったケースはいろいろなところであるらしい。家事の合間の気晴らしにもなり、いきいきしてくる(逆に負担が増えることもあるだろうけれど)。ここでコンピュータを学ぶ女性は、どのような仕事に就くのだろう。災害によって、ある一帯に住む人々はその人生の送り方を変えることを余儀なくされる。時が経ち、それは一時的な例外として再び何もなかったかのように鳴りをひそめるかもしれないし、次の世代にも受け継がれ、新たな文化として社会に定着していくのかもしれない。
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2006年09月22日

スリランカ第 7 次調査報告No.3

■漁業組合

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翌日は、ハンバントータ県のクダワラという漁村にある漁業組合を訪れた。漁師さんたちは津波で漁業の道具を失い、生計手段を奪われた。CODEは漁師の組合を設立し、一隻のボートを支援した。この船を組合員が交代で使い、漁に出る。獲れた魚はゴールやマータラといった町からやってくる卸売業者に売る。お金を儲けた漁師は収穫の一部を組合に寄付し、皆で集めたお金で再び組合のために、夜間の漁ためのランプ等を購入する。

他にも、多くの船を支援している団体もあるが、CODEの支援について組合の代表はこう言った。「CODEは個人にではなく、この漁業組合というコミュニティに対してボートをくれた。もし個人に船をあげていたら、その人だけが豊かになり、社会に不和が生まれてしまうだろう。だから、たった1隻のボートだけれど、このようにコミュニティが協力して強くなれる方法は良かった。」
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2006年09月21日

スリランカ第 7 次調査報告No.2

スリランカでCODEが津波後に支援している幼稚園・保育園と、漁業組合を訪ねました。その様子をご報告します(岡本千明)。

コロンボに着くと、味わったことのないじっとり水分を含んだ空気に包まれた。着いた翌日から、それまで乾季だったという大地に雨も降り始めた。コロンボから海に沿って南下し、南部のヒッカドゥワ、ウェリガマ、マータラという町にある3つの幼稚園に向かう。

■幼稚園
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スリランカには2万ほどの幼稚園があるが、そのほとんどは宗教法人やNGOが運営している。公営でないため政府の支援はあまり受けられず、再建はNGO等が中心となって行われているそうだ。島南部のヒッカドゥワという町にある幼稚園建設現場に着くと、子どもたちが首に花輪をかけて迎えてくれた。この地域では、ほとんどの家族が津波の被災者だ。鬱蒼とした木々を背後に、ブロックで一階の高さの柱と壁までができている。床、天井や内装はまだこれからだが、2月には開園する予定だ。70人の子どもたちが入園予定だが、そのうち24人が津波で何らかの被災をしたそうだ。30人は3〜4歳、40人は4〜5歳だ。子どもたちは、今は近くの寺で勉強している。しかし、寺が宗教の活動に使われるときには使えない。子どもたちはいつでも遊べる場所を待ち望んでいるそう。
この幼稚園は海から約1キロ離れており、安全地帯にある。それでも津波は地面から30センチほどの高さまで来たそうだが、園の裏が高い丘になっており、逃げ場になるのだと言う。

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より南部のウェリガマの幼稚園に向かう。「ウェリガマ」とは、「砂の村」という意味らしい。海が近く、たしかに砂はあるが、特に砂の村というイメージはない。幼稚園の建設現場となっている場所では、波が家の一階くらいの高さまで来て88人が亡くなったと先生が教えてくれた。園舎は9割方完成している。もうすぐ開園し、20人ほどの園児が通う予定だ。ブランコや滑り台などの遊具もある。私たちが着くと、歓迎のセレモニーを催してくれた。5歳くらいの園児たちが、ゆかたとタキシードで迎えてくれた。舞台を使って「おはしもの歌」に合わせて踊ったり、スリランカのジャングルに住む先住民のダンスをしてくれた。

13歳になる幼稚園の先生の娘さんが、日本語で挨拶をしてくれた。学校で習っているそうだ。「支援ありがとうございます。日本からスリランカに来る皆さんによろしく。私たちは手と手を合わせて挨拶します」と手を合わせ、最後に「なむあみだぶつ」と言った。

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最後に訪れたのはマータラの幼稚園。ここは、2006年1月に完成しており、約30人の園児が学んでいる。旗を立てるポールには、スリランカの旗と日本の旗が並んで翻っていた。到着すると、園児とお母さんたちが待っていてくれた。村井事務局長は、先生と子供たちにこう語った。「災害はつらいけれど、これからのスリランカを作っていくのは子どもたち。日本も災害を経験しています。世界のどこであっても、共通の経験や思いを共有することが大切です。その心のつながりが、国を越えて災害を乗り越えてゆく力となるのです」
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2006年09月20日

スリランカ第 7 次調査報告 No.1

 災害史上最悪の事態といわれた「スマトラ沖地震津波災害」(2004.12.26)から20ヶ月が経った”輝く島=スリランカ”を、この夏、駆け足で廻ってきました。以下に簡単に報告します。(理事・事務局長 村井雅清)

 みなさまからのご支援を頂き、CODEは津波をたスリランカにおいて次のような支援活動を行っています。@防災共育 A幼稚園・保育園建設 B漁業支援です。CODEの支援はどれもスリランカ東海岸と南部地域の2ヶ所ではじめました。その理由を説明するには、少しスリランカの政治的背景に触れなければなりません。スリランカでは20数年におよぶタミール人とシンハラ人の民族紛争が続いていて、2002年2月、やっとノルウェー政府の斡旋により、停戦協定が結ばれました。その後津波が襲い、一時は相互協定を結び、お互いに復興に歩もうと締結されたのです。世界中からの救援活動が、和平を一歩近づけたのでした。ところが残念ながら、マスコミなどでも伝えられているように、2005年11月の新政権誕生とともに、再び両者の関係が悪化し、今はコロンボ市内の治安にも影響を与えています。

 従って北部ジャフナの幼稚園・保育園(すでに完成しスタートしている)、東海岸トリンコメリーの漁業支援、東海岸バッティカロアの幼稚園建設、同じく東海岸アンパラ県での防災共育に関しては、安定するまではモニターにも行けない状態です。支援しているカウンターパートナーである漁業組合のサラナプラさんは「次回は是非トリンコ(トリンコメリー)に行きましょう!」と行ってくれるのですが、現実は厳しいところです。今回の訪問も南部のゴール、マータラ、ヒッカドゥア、ハンバントータで実施している防災共育、漁業支援、幼稚園・保育園建設のモニターになっています。次回から順次詳細な報告をさせて頂きます。

 いづれにしろ、津波から20ヶ月が過ぎたが、各々のプロジェクトが進んでおり、いよいよ次の段階では、現地の当事者たちが主体的に事業を継続・発展させるべき継承をどのタイミングで行うかです。私どもの調査団が帰国した日に、実はスリランカYMCAから2名の若者が研修の一環としてCODEに来てくれました。2人の内一人が言われたのは「津波以降、スリランカYMCAは復興のための”種”を蒔いてきました。この種が芽が出るようにサポートして行きます。」と力強く言われて帰られました。ほんとうにCODEが行う支援は種まきであって、あと水をやり、施肥し管理するのは地元の人達の仕事です。
私たちにできるその後の仕事は、ただ祈ることだけかも知れません。

 次号から通訳として同行した岡本千明がレポートをお届けします。お楽しみに。
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