2006年01月27日

スリランカ防災「共育」プロジェクト 現地レポートNo.6

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ヒロさんのレポートに紹介されていたのですが、彼のソーシャル・ワーカーとしての原点を表す言葉として、次の言葉を座右の銘にしているそうです。

”Be the change you wish to see in the world ”(何かを変えるのではなく、自分がまず変化そのものになることから何かが変わりはじめる)

11年前の阪神・淡路大震災以降、自立は支えあいからという言葉を言い続けてきました。人間一人では生きていけないんだ!ということも体感しました。お互いの関係性の中で、励まされたり、支えあったり、時には厳しく叱咤されたりという中で、人は「育ちあって」行くのだと学んできました。今、マータラの子どもたちは各々の活動範囲に留まることなく、自分たちが学んだことを違う地域に伝えようと努力しています。つまりネットワークを築いて行きつつあります。こうして新たな出会いをつくりながら、まさに学びあい、育ちあい、「共育」が文化となるのでしょうか。まだ始まったばかりですが、今後が大いに楽しみです。

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2006年01月26日

スリランカ防災「共育」プロジェクト 現地レポートNo.5

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【写真】黒板作りの様子
前に、ヒロさんが自ら手作りで黒板をつくることを提案したことについて触れましたが、そのことについてのヒロさんの思いがレポートされてきましたので、次ぎに紹介します。

−−−−−−−−−−−−−−−
今日はDevinuaraでの黒板作成の様子を写真で送ります。ここは2月からスタートするのですが、写真にある板はプロジェクトを運営するリーダーの家のドアです。そして白シャツでナイフを持っているのはこの村の村長。彼が自宅を開放して毎週一回プロジェクトを行うことになっています。「なんてケチな日本人なんだ?」と絶対彼らは思っていることでしょう。

なぜ私が手作りの黒板作成にこだわるのか?その最大の理由はsense of ownership、日本語にはしにくいですが、このプロジェクトが人から与えられたものではなく自分たちのものである、自分たちの手で作ったという感覚を持ってもらいたいからです。これと合わせてsense of control、つまりこのプロジェクトを自分たちで運営しているという感覚を、彼らボランティアに持ってもらいたいわけです。言葉にすると簡単ですが、この二つは体験からしか学べな
い。ある時黒板が欲しいというリクエストを聞いて、「あ、これだ!」と思ったわけです。
−−−−−−−−−−−−−−−

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【写真】現地の子どもたち
毎日毎日のスリランカレポートで恐縮ですが、滝田裕之さんがCODEのプロジェクトをサポートするために、実に精力的に働いておられるので、ご支援戴いているみなさまにも是非、少しでも子どもたちと生きいきと活動する姿を、想像して下さればと思います。阪神・淡路大震災のあと
には、PTSDという震災から受けたショックが、5年を過ぎても続いていると云う事例も少なくありませんでした。スリランカではTSUNAMIからやっと1年が過ぎたところです。TSUNAMIで家を流されキャンプで生活している人たちもおられます。まだまだこれからという状態ですが、これまで同様よろしくご支援の程お願い致します。

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2006年01月25日

スリランカ防災「共育」プロジェクト 現地レポートNo.4

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【写真】子ども達に描いてもらった絵(マータラ)
前回の津波の絵についてですが、あの津波の絵はヒロさんが絵を描くように頼んだものではなく、自由なテーマのなかで子供のうち数人が描いたものだそうです。子どもたちが描いた絵にについて、ソーシャルワーカーとしてのヒロさんの視点で以下に解説していますので紹介します。

じつは私はどの段階で津波をテーマに絵を描いてもらうか、あるいは絵を描いてもらうように頼むことが適当か図りかねています。でも一番上の写真、よく見ると波のなかにたくさん木が浮かんでます。あれってあの場にいた人じゃないと描けない絵です。左下の丘らしきところから見ている人がいますね。両手を差し出して無力感を象徴しているように私には見えるわけです。描いた本人に詳しく聞いてみないと分かりませんが、年齢の低い子(10〜12歳)が描いた上の二枚に私は言葉にならない無力感を感じました。

その一方で3枚目の絵は14歳の子が描いたものです。一目見ておかしいと思うのは逃げ惑う人間に顔がないこと。まだ津波が飲み込む前なので、そこには恐怖の表情があったはずなのですが、彼女はあえて顔ごと絵から削除しています。それは同時に彼女(女の子です)が、過去の痛ましい出来事から目をそむけようとしていることがうかがえます。それなのになぜ彼女はあえて津波の絵を描こうと思ったのか。私はそこに興味を覚えます。

二枚目の絵の上にあるのは太陽だと思いますが、津波の映像を何度も見ていながら、あの日燦々と陽が降り注いでいたことなんて覚えていませんでした。この絵を見て「そういえばあの日は晴れていたのだな」と思いました。絵の中にある人間や建物、木が実写に忠実に表現されているのに、なぜか太陽だけは抽象的に燃えているかのように描かれている。まず私だったらこの絵を描いた人にその日本当に太陽を見たのか聞いてみたいですね。黒で縁取りされオレンジ色を使って塗られた太陽は、まるで神の怒りを象徴しているかのようです。もしかしたらこの子は津波後、そのような話を大人に聞いたかもしれませんね。それは彼(男の子)なりに、津波を理解しようとする試みだったのかもしれません。

私はまだプロジェクトの立ち上げ中であり、もう少し時間と心に余裕ができてから津波に触れていきたいと思っています。絵を見て勝手に理解するのではなく、描いた当人にその意味を聞いてみたいです。また、津波をどのように大人たちに教えられたか。これは防災プロジェクトを組み立てていく上で、是非とも知っておかなければならないことだと思っています。この絵を描いた三人の子供には、それぞれ個別に話を聞いてみたいと思っています。

今後とも随時情報を提供していきますので、スリランカの子どもたちを日本から見守っていて下さい。よろしくお願いします。


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2006年01月24日

スリランカ防災「共育」プロジェクト 現地レポートNo.3

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【写真】子ども達に描いてもらった絵(マータラ)
防災「共育」の中でもいわゆる「心のケアー」という分野でしょうが、子どもに敢えて津波のときのことを思い出しながら絵を描いてもらって、津波で受けた恐怖感を徐々に払拭しながら、やがて正しい津波の知識を理解して貰うというものがあるようですが、この手法は場合によっては専門家との連携が求められます。ヒロさんは、アラスカでの実践を重ねてきたソーシャル・ワーカーなので、その辺りは心得ているようです。ヒロさんは、一度子どもたちに絵を描いて貰ったようです。(HPには、その絵が紹介されています。)彼は、日本のドナーのみなさんに今取り組んでいる防災「共育」の参加者である子どもたちの表情をまず絵をとおして紹介したいと考えたようです。

また、彼のブログでも詳しく紹介されていますがある村でこのプロジェクトを進めようとすでに入っている地区があります。そこの中学生たちがこのプロジェクトを進めるために「黒板が欲しい!」と彼に提案したら、彼が「よし、じゃあ板切れを拾ってきて黒板を作ろう!」と逆提案をしたようです。そうすると中学生たちは、最初は「えっ?」と目を白黒させたようですが、
まさにボランタリーな行動を開始しはじめたのです。まさに彼のやり方は、「共育」で一緒に考え、一緒に創りだしていくという手法です。こうしてこの1年間、私たちCODEはスペシャリストである彼が行う、スリランカにおけるこの防災「共育」プロジェクトをとおしてきっと学ぶことが多いでしょう。

さて、いよいよ濱田久紀さんがヒロさんと合流したようです。クキさんは11年前の阪神・淡路大震災で衝撃的な体験をしているだけに、ヒロさんとはまたひと味違った形でそうした経験が、きっとこの防災「共育」プロジェクトにも生かされてくると思います。お楽しみに!

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2006年01月23日

スリランカ防災「共育」プロジェクト 現地レポートNo.2

津波被災者の中には、「あの時にもし救急法などを身につけていれば、死ななくてすんだだろう」と悔しがっている人たちもいます。その話を聞いて、ヒロさんは子どもたちに最低限の応急処置を学んで貰うことは意味があるだろうということで、地域に住む看護士あるいは医者を探し、手伝って貰う計画を持っています。スリランカにも赤十字はあるようだし救急救命チームもありますが、ヒロさんは敢えて地域住民に担って貰おうと考えています。というのも防災「共育」の対象は、主に小学校の低年齢層なので、むしろケガをしたらきれいの水で消毒すること、腐った物は食べない、泥水は飲んではいけないというような基本的なことを学んで貰うことが先決だという判断からです。
こうして小さな子どもといえども、可能な限り「自分の命は自分で守る」という自助が徹底されることで災害後の被害を軽減することの一助になるでしょう。ご存知の方もおられるでしょうが、日本の三陸地方に伝わっている「津波でんてんこ」という厳しい言い伝えを紹介します。

−津波てんでんこ−
津波のときだけは、でんでばらばら、親子といえども人を頼りにせず、走れる子どもは一目散でにげろ。そして一家全滅、共倒れになることを防げ、という話です。
もちろん、てんでに走って逃げられない人について、普段から足の弱いお年寄りや弱者は、家族でだれが助けるか話し合っておく。家族で助けて逃げることができないときは、近隣で助けあうことを決めておく。地域の防災力は日頃の話し合いや助けあいによって高められる。ということです。


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2006年01月22日

スリランカ防災「共育」プロジェクト 現地レポートNo.1

スリランカ地図
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【写真】イシャンカさんが子どもたちに「お・は・し・も」の歌を教えている様子(マータラ)

 みなさま、いつもご支援有り難うございます。事務局長の村井です。先日紹介しましたUNV(国連ボランティア計画)のスタッフとして、CODEがスリランカで行う防災教育をサポートして下さっている滝田さん(通称ヒロ)から、いよいよ本格的なスタートに向けてのレポートが寄せられましたので少し掻い摘んでご紹介します。尚、すでに新聞などでご存知かも知れませんが、昨年4月からCODEでアルバイトをしていた濱田久紀さん(通称クキ)も、やっと最終手続きが済み先日20日、スリランカに向かいました。着任先は、ヒロさんがマータラ、クキさんはゴールです。

この国連ボランティア計画の活動期間は今年12月31日までです。その後この防災教育プロジェクトがどこまで続けられるかは、現地のカウンターパートナーであるスリランカYMCAの力量とこの1年間で育つボランティアにかかっています。現地の様子については今後この二人から届けられますので、小刻みにして事務局からみなさまにはこのMLを使ってお伝えします。

<スリランカ防災「共育」プロジェクト現地レポート No.1−2006.1.22>
−いよいよスリランカバージョン「お・は・し・も」広がる!!−
防災ソングとして愛知県美浜町布土小学校で歌い続けられている「お・は・し・も」ソングが、ヒロさんの赴任先マータラで広まりつつあります。デビヌワラという漁村に住む中学生のイシャンカという女の子が、5ヶ所でこの歌を広めていますが1時間もすれば子どもたちは歌を覚えてしまうほどです。

この歌は、もともと地震が来たら慌てずに「おさないで、はしらないで、しゃべらないで、もどらないで」パニックを起こさないように逃げようというリズミカルなメロディなのですが、何故かイシャンカとイシャンカのお母さんが編曲?したのはゆったりしたメロディーになっています。でもこの地域の伝統の楽器を使ってのメロディになっているそうで、ココナッツで造った太鼓なども使いながらの歌に仕上がっており、ヒロさんはむしろこうしてその地域の文化にあった形でアレンジされていくことを評価しています。

もちろんCODEとしても同感で、「おはしも」を生みだした布土小学校の先生にも了解を取って進めています。楽器を買ったりするお金もありませんので、こうした手作り楽器を使うことになりますがそれはそれでやりがいのある活動になっています。
*「おはしも」のCDがあります。必要な方は事務局まで申し出て下さい。(一枚500円送料別)

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2006年01月15日

2004.12.26 TSUNAMI 一年を終えて No. 4

関係者のみなさま、一昨年12月26日にTSUNAMI災害被災国の一つであるスリランカ
において、現地カウンターパートナーであるスリランカ・YMCAとの連携で進めてい
る防災教育プロジェクトには、新たに強力なパートナーとして通称「ヒ
ロ」と呼んでいる滝田裕之さんが、昨年11月末から南部マータラで活動をしていま
す。彼は、国連ボランティア計画(UNV)のインターナショナル・ボランティアと
して、CODEがスリランカで行う防災教育のサポートをすることが任務となっていま
す。機関は今年の12月までです。私とはこれまでメールやスカイプなどでやりとり
をしていたのですが、昨年12月にスリランカ訪問をしたときに、はじめてお会いす
ることができました。

早速、彼がブログをつくられたので是非ご覧になって下さい。
http://blog.goo.ne.jp/unv_lk/)。また、彼から日本の支援者のみなさまに
メッセージが届きましたので下記に紹介します。まだ着任して1ヶ月ほどですが、
すでに精力的に活動しておられ、これまでもアメリカやカンボジアなどで子どもの
ケアーをしてきておられることもあって、さすがにすばらしい視点と実践でもって
マータラの子どもたちと接しています。彼の考え方や実践の一端を覗かせて頂く
と、まさに「共育」という漢字がピッタリで、子どもが主役となった活動の大切さ
を意識されておられます。実は、彼は"マジシャン?"でもあるのですが、「相手を
楽しませるには、自分が楽しまなければ!」といいながら、ほんとに楽しそうに演
じてしる真顔は輝いています。
この1年間、度々このCODEのMLに彼が登場することになりますがよろしくお願い致
します。(事務局 村井雅清)    

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 はじめまして。子供のための防災プロジェクトの国連ボランティアとして、昨年
末よりスリランカ南部マータラに駐在している滝田裕之と申します。

マータラは人口約4万人、2004年の津波でおよそ1500人が亡くなりました。あれか
ら一年以上が経ちますが、津波の残した傷跡は今でもあらゆる所で目にすることが
できます。この場所で現地YMCAのボランティアとともに、防災教育普及のため働い
ているのですが、その仕事は想像以上に難しいものです。防災教育という概念のな
いスリランカでは、まずボランティアに対して防災教育とは何かを教えなければな
りません。中には「津波はもう二度と来ないのに、こんな教育を行う意義があるの
か」と質問する人もいました。またYMCAが中心となっている活動のため、「これは
教育に名を借りた宗教活動なのではないか」と不安に思う親も多くいます。そのた
びに私は自分が国連ボランティアより派遣され、無神論者であること、また防災教
育は津波に限定されないことを説明しています。

私はスリランカに来る前、アラスカ州の児童福祉局、日本でいう児童相談所でソー
シャルワーカーとして働いていました。虐待を受けた子供たちと日々接してきたわ
けですが、その経験がどの程度この仕事に生かされるかは未知数です。ただ私はこ
の仕事における「知っているつもり」、「分かっているつもり」の怖さは知ってい
ます。私はスリランカ人にとって何がベストであるか分からないし、それは一年後
も変わらないと思います。それはスリランカ人自身が見つけるべきことであり、私
はそこへたどり着く過程を技術・精神面でサポートするのが仕事だと思っていま
す。

「どうしたらいい?」と聞いてくるボランティアに、「どうしたらいい?」と聞き
返す私は、スリランカ人にとって頼りない存在かもしれません。でもほとんどの場
合、彼らはその答えを持っています。つい最近までカレーと紅茶ぐらいしかスリラ
ンカについて知らなかった私より、ずっとこの国の人や文化を知り、それに合った
やり方を知っています。

"Be the change you wish to see in the world." ---ガンジー
(世界に起こればいいと思う、まさにその変化にあなた自身がなりなさい)

私はこの一年、様々な「変化」を目の当たりにすることになると思います。そし
て、「お前の助けはもう必要ない」とスリランカ人に言われたとき、初めて自分の
仕事の成功を知るのだと思います。
           

防災シンポジウム2006「安心できる学校、住まい、地域づくりを目指して」
日 時:2006年1月18日(水)9:30〜17:00
場 所:よみうり神戸ホール
参加費:無料(要予約)
申込先:UNCRD防災計画兵庫事務所
    http://www.hyogo.uncrd.or.jp
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2006年01月09日

2004.12.26 TSUNAMI 一年を終えて No. 3

濱田のスリランカ・レポート2回目は、南部ヒッカドゥワに建
てられたアクララ幼稚園を訪れた時のものです。

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アクララ幼稚園を管理している男性から、幼稚園の前にある池から
津波の何体もの遺体を引き上げた話しを聞いた。彼の目は何と
も言い知れない悲しさとやりきれなさで一杯であったように感
じた。どんな想いで遺体を引き上げたのだろうか。今後、この
池は海老の養殖用に使用されるという。ふと、KOBEの震災の時
を思い出す。瓦礫に埋もれ、助けたくても助けられなかった米
屋のご主人。路上に放置されていた多くの遺体。TSUNAMIから
1年が経とうとしている。KOBEから11年目に入ろうとしてい
る。今だ、津波の時の水位を示す跡が窓ガラスに残っている。こ
の跡が物語るように、私たちは、けして忘れてはいけないと思
う。KOBEを、そしてこの津波を。語り継いでいかなければいけ
ないと思う。これは私たち被災地の責任だと感じる。

土の防潮堤が造られていた。土台自体をコンクリートにしなければ次
ぎの津波には耐えられないであろうと村井さんが言っていた。
自然災害を事前に止めることは不可能であるが、災害後の被害
には必ず原因がある。その原因を取り除くことによって確実に
被害を軽減することが可能であると村井さんはいつも言ってい
る。この土の防潮堤がコンクリードに代わることはあるのだろう
か。行政が、国が行わないのであれば、地域住民が行政に働き
かけ、訴えかけなければ何も変わらないのではないだろうか。
地域住民の力で智恵をだしあって、強固な防潮堤を造りあげて
いかなければ、同じ過ちを繰り返してしまうだろう。

犠牲者の哀悼の意を表して「12月26日は働かないでおこう!」
と、漁師によるメッセージが貼ってあった。KOBEで「1月17日は働
かないでおこう!」と、KOBE市民が発信する日が来るだろう
か。朝5時46分の数分間だけでなく、その日、一日を、「語り
継ぎの日」として、「ボランティアの日」として、共育の時間を過
ごしてみたらよいと思う。
「ナショナル・ANTI・WAR・フロント」の方々の話を聞いて、私の中で
色々な事がリンクしていき、驚きと同時に、嬉しさで一杯になっ
た。リンクしていく、これは宗教に似ている。それぞれの宗教が
あり、教え(道)があるが、呼び名が違っても行きつく先は同
じである。つまり、働き方、働きかけがバラバラであっても、想
いは一緒であるという事。以前、村井さんが言っていた、「バ
ラバラでなお一緒」であるということ。これはボランティアのことを
言っているが、この「一緒」である部分が同じであるならば、
生き方、働き方、信じ方が違っていても、ゴールは同じであると
思う。「人間は幸せになるために生まれてきた」と言われるよ
うに、ゴールとは「幸せ」=「自由」=「平和」である。

防災シンポジウム2006「安心できる学校、住まい、地域づくりを
目指して」
日 時:2006年1月18日(水)9:30〜17:00
場 所:よみうり神戸ホール
参加費:無料(要予約)
申込先:UNCRD防災計画兵庫事務所
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2006年01月06日

2004.12.26 TSUNAMI 一年を終えてNo.2

年末最後に村井のレポートをお届けしましたが、この時村井に同行したスタッフ濱田久紀のレ
ポートを数回に分けてお届けします。

--------
今回、村井さんのスリランカ訪問にあたり、視察などの手配をして下さった現地の
方から、12月26日はスリランカのあちらこちらで「TSUNAMI慰霊祭」が行われると
聞いていた。ディクワラで、漁業組合の会合があるから、是非参加してほしいと
のお誘いに、この日、ディクワラセンターで「1st Commemoration of TSUNAMI
Tragedy of Sri Lanka」の会合に出席することになった。漁業組合員や、女
性自立プロジェクトのリーダーの方々などが参列され、津波発生時刻に黙祷が捧げら
れた。

6434人もの方が亡くなったKOBE、死者・行方不明者23万人にもなった
TSUNAMI、あの時、誰もが「最後の1人までも助かってほしい」と願った。市
民一人ひとり(被災者、ボランティア)の支えあい、助け合いによって多くの命を
救うことができた。「震災10年神戸宣言」で、「最後の1人まで支える」と確
認しあった。最後の最後の1人までを支えるとは、その最後の1人が「生きた
い」と願えるかどうかである。真鍮の塔に灯りを灯すように、今後の生活に
灯り(希望や夢)を灯せるかどうかである。

何事においても多数決で決められる世の中であるが、残されたものが1人であ
ろうが、その1人に注目することにより、全体を注目したことになると考えて
いる。1.4は1.4であって、1であってはならない。四捨五入の切り捨て
発想は、1.4(全体)を注目しているのではない。.4 の4はどこに消えたの
か。1.4を1.4と見なすことにより、1.4の全体が見えるのである。最後の1人
を見守れるのは、市民一人ひとり(被災者、ボランティア、NGO)の人間力(大き
な愛)にかかっていると思う。そして私もその市民ひとりとして、共に育ち
あいながら活動していきたいと思う。

村井さんのスピーチでCODEの意味(災害に立ち向かう市民一人ひとり)や「まけ
ないぞう」(痛みの共有、生きがい、支えあい)の紹介がされた。CODEのロ
ゴにある、新芽(新しい命、生きる力)の説明に、津波1ヶ月後に生まれた
子どもが紹介されたりした。漁師の息子が創ったモニュメントに「まけないぞう」
が飾られた瞬間の参列者からの拍手の音は、今でも耳に残っている。心が震
えるとはこうゆうことなんだと感じた瞬間である。CODEの想い、KOBEの想い
が、彼らに伝わった瞬間でもある。女性自立プロジェクトのリーダーのある女性は、
「支援はいらない、あなた方の勇気と励ましを私たちに下さい」と力強く訴
えられた。会合終了後に、「まけないぞう」を創ってみたい、「防災教育」
にも携わってみたいと多くの方から言われた。「支えあいは国境を越えて」
とは村井さんの言葉であるが、「支えあいは災害を乗り越えて」と私も言葉
を作ってみた。

今回のスリランカ派遣で、多くの学びがあった。まずは「防災教育の重要性」と
「人と人とが繋がる」という体感。また、「人が二本の足で歩き続けてき
た」こと、つまり自立したいと願うことは、本来人間が持っているものであ
るということ。これらの学びや気づきは、いくつもの車線から(バラバラ)を
同じ方向(なお一緒)に向かいながら、被災者と共に育ちあいながら、得た
ものである。今後、更に、「防災『共育』」というボランティアな活動を通して、
語り継ぎ愛、学び愛、繋がり愛(敢えて愛と使う)ながら、もうひとつの生
き方を、それぞれ(私自身も含め)が決め、住民主体の勇気ある力強い社会
(地域)を創っていきたいと思う。

シンポジウム「世界の1年を振り返って次の1年へ」
日 時:2006年1月8日(日)14:00〜17:00
場 所:JICA兵庫 2階ブリーフィングルーム
参加費:無料(要予約)
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2006年01月05日

2004.12.26 TSUNAMI 一年を終えて

2004.12.26 TSUNAMI 一年を終えて
CODE海外災害援助市民センター
事務局長  村井雅清

monument.jpg
【写真】漁師の息子が作成した津波モニュメント(スリランカ・マータラ県ディクワラ 12月26日)
 12月22日から28日までの駆け足で、3度目のスリランカ訪問をしてきました。
当初の目的は、津波以後の支援プロジェクトの一つとして南部および東部で行っている防災教育の進捗状況をモニターすることだったのですが、そのことに加えてやはり「2004・12・26TSUNAMI」から一年という節目と重なったこともあって、悲しみを共有しつつ、またすばらしい出会いがあり、感動のひとときを過ごさせて頂きました。防災教育についてはまた別の機会に詳細に触れます。

ここでは、この間ご支援を下さったみなさまに、スリランカ南部マータラ県ディクワラ(DIKWELLA)漁村のコミィニティセンターで行われた「津波一年ミーティング(1st.commemoration of tsunami tragedy of Sli Lanka )」の模様をお伝えしたいと思います。会場内では、正面舞台になるところに横断幕が張られ、その右横に高さ2b余り、幅1・5bくらいのモニュメント(発砲スチロール製)が設置されていました。そのモニュメントの前には献灯、献花ができるように海岸の岩場を想定した台を作っています。左側にはこの地域の仏教儀式なのか、しんちゅう製の高さ3bくらいの仏具が立ててあり、そこにローソクを灯すというしかけになっています。

津波の犠牲者に対して、津波被害のあった午前9時20分から2分間の黙祷を捧げ、ま
ず主催者の漁業組合長や女性自立プロジェクトのリーダーなどの挨拶がありまし
た。続いてゲストとして地域で平和運動をしているNGO代表や地域での教育活動を
しているメンバーからの挨拶があり、さらには愛知県知多郡美浜町布土小学校で生
まれた防災ソング「お・は・し・も」の編曲マータラ版が、隣村の子どもたちに
よって披露され、最後にCODE海外災害援助市民センターを通しての被災地KOBEや日
本のみなさまからの支援の紹介がされました。このセレモニーには約100人の住民
が参列され、感動の二時間を現地の被災者や関係者と共有することができました。
会場では、遺族の方がずっとハンカチで涙を拭いておられる方や津波の直前に誕生
した一歳の赤ちゃんを抱いたお母さんや子どもたちも参加していました。

被災地KOBEの私たちとして最もこみ上げるものがあったのは、阪神・淡路大震災以
来KOBEの被災者が造り続けてきた「まけないぞう」というタオルを象の形につくっ
た壁掛けを、こちらのモニュメントに掛けさせて貰ったときです。あとで触れます
がこのモニュメントは作品としてもとてもすばらしいもので、「まけないぞう」を
ここに掛けるつもりはなかったのです。私のスピーチを終わったあとにどこに掛け
させて貰おうかと迷っていたときに、主催者がそのモニュメントの真ん中に飾って
くれた瞬間に、期せずして会場から大きな拍手が沸き起こったのです。阪神・淡路
大震災から11年、この間私たちは「痛みの共有」や「支えあいは国境を越える」と
いうメッセージを発信し続けてきました。この拍手が沸き起こった瞬間に、これら
のことが”つながったんだ!”と体感したのです。

最後に挨拶された女性リーダーは、次のように力強くいっておられました。「もう
私たちには、物やお金の支援はいらないのです。勇気を下さい!」と。この主催者
であるUFFC(漁業協同組合)は、日本のみなさまによる支援で組合をつくり再建活
動を続けていますが、組合内に漁民の女性支援プロジェクトも立ち上げています。
セレモニーが終わったあと、その彼女たちは私と同行した濱田久紀を取り囲むよう
にして、「私たちも防災教育をやりたい。まけないぞうのようなクラフトもつくり
たい。」と訴えていたのが、印象的でした。私のスピーチでも強調したのは、「私
たちが女性を支援するのは、女性が弱いからではありません。強いからです。一人
の女性を支援すれば、その女性は一人で二人、三人の子どもを助けます。さらに高
齢者も助けます。だから強いのです。」ということでした。あらためて女性の奥深
い力強さを感じた次第です。

最後に、このすばらしいモニュメントというのは、津波に立ち向かうように上半身
裸身になった男女が手をつなぎ、天に力強く突き上げている姿を炭で描いた作品な
のです。漁師の息子さんが描かれたそうですが、ほんとにすばらしいモニュメント
でした。「CODEという意味には、災害に立ち向かう市民たちという意味がありま
す。」と説明をさせて頂きました。スリランカで過ごした丁度一年目の12月26日、
こうして予期せぬ形で被災者と2時間弱を共有できたことは本当に感動でした。次
ぎに津波災害に遭っても、被害が少なくなるように「減災教育」を徹底したいと心
に誓い、会場を後にしました。コロンボへの岐路は、夜9時を過ぎてしまったこと
もあって、道中ではあちらこちらで追悼の式典がなされており、沿道や海岸には犠
牲者を追悼する灯りが献灯されていました。KOBEに帰ると11年目の「1月17日」が
待っているということをヒシヒシと実感した一日でした。とり急ぎ、スリランカ帰
国報告と致します。

今年1年大変お世話になりありがとうございました。来年もよろしくお願いしま
す。

2006.1月シンポジウム "世界の1年を振り返って次の1年へ"
〜スマトラ沖"TSUNAMI"から1年、阪神・淡路大震災の経験は生かされているか?〜
日時:2006年1月8日(日) 午後2時〜5時
場所:JICA兵庫 2階ブリーフィングルーム
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CODE海外災害援助市民センター
posted by code at 10:52| スリランカ支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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